2017 旭硝子財団 助成研究発表会 要旨集
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雄と雌の相互作用が種分化を促す:生殖前隔離の神経基盤に関する研究 富山大学 医学薬学研究部(医学)解剖学講座助教 川口将史 1. 研究の目的と背景 生殖前隔離は種分化を成立させる一要因であり、生物多様性を生み出す重要な素過程の一つである。しかし、生殖前隔離を成立させるメカニズムは未だ不明である。交配の成立には、雄と雌の相互作用を助ける求愛要素の知覚が重要な役割を果たす。すなわち、雌雄間での求愛要素に対する齟齬の発生が、生殖前隔離の原因と考えられる。近年、弱電流で会話する魚類での解析から、脳の進化が知覚の精密化を経て種分化を促した可能性を示唆された(Carlson et al., 2011)。しかし、感覚情報の知覚・統合から生殖前隔離の実行に至る神経回路の全容を解明する試みは、これまでなされてこなかった。 ハゼ科に属するヨシノボリは、複数の近縁種が同所的に生息しているが(Mizuno et al., 1979)、それぞれ遺伝的独自性を維持している(Yamasaki et al., 2015)。水槽でのお見合い実験から、ヨシノボリの雄は雌を識別して同種に求愛・別種を威嚇攻撃しており、生殖前隔離が成立していることが判明している。そこで本研究では、1) ヨシノボリの雄が雌の識別に用いる知覚の種類と、雌側の鍵刺激の同定を目指した。また、2) ヨシノボリの終脳アトラスを作成し、行動に伴って活動する脳領域の同定を試みた。さらに、3) 求愛行動特異的に活動する脳領域で発現する遺伝子を網羅的に探索し、求愛行動の実行を司る脳内因子の同定を目指した。以上の解析により、ヨシノボリの雄が識別に伴って求愛と攻撃の行動選択を実行するための神経回路の全容解明を目指した(図1)。 図1本研究の目的 2. 研究内容(実験、結果と考察) 1) ヨシノボリの雄が営巣した水槽の前に雌が入った水槽を提示したところ、雄は雌の種を識別することができた。このことからヨシノボリの雄は、匂いや音に関係なく、視覚情報だけで雌を知覚・識別できることがわかった。そこで次に、生きた雌個体の模様を人為的に改変して雄への提示を試みた。まず、種間で差が明確な胸鰭基部の模様を墨汁で塗りつぶした雌を作出したが、雄は正しく雌を識別することができた。このことから、雄は雌の体表模様の一部だけを識別しているわけではないことがわかった。 2) Nissl染色と脳内因子に対するin situ hybridizationを用いて、ヨシノボリの終脳アトラスを作成した。その結果、他の魚種には見られない大きな特徴として、① 視覚情報の処理に預かる終脳背側野側部(Dl)が大きく発達していた。また、② 終脳背側野中心部(Dc)に終脳腹側野背側部(Vd)や終脳背側野背側部(Ddmg)に由来する神経細胞が侵入し、巨大な神経核を構築していた。最初期遺伝子c-fosの発現パターンを指標として、行動に伴って活動した神経細胞を可視化した結果、視覚路を構築する中脳視蓋とDlが求愛と攻撃のいずれでも活動しており、視覚刺激が識別の重要な素過程を担うことが確認された。一方、視索前域とその回路上流にあたる終脳腹側野腹部(Vv)、下垂体前葉端部、下垂体中葉周囲の視床下部に、求愛行動特異的に活動する神経細胞群が観察されたのに対し、攻撃行動の際には下垂体中葉が特異的に活動していることがわかった(図2)。さらに、卵黄の蓄積が不十分な雌は、同種であっても雄から威嚇されるが、この時の雄の脳内の活動は、別種の雌を攻撃している時と類似していることがわかった(図2)。 図2行動に伴い活動した脳領域(c-fosの発現を指標)−66−発表番号 32〔中間発表〕

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