2017 旭硝子財団 助成研究発表会 要旨集
171/223

泉経営ヲナスニ甘ゼズ之ヲ天下ノ大公園タラシムルヲ理想トシ」1)という趣旨が、そのまま後進地である宇奈月温泉で活かされようとしたことがわかる。なお、愛本温泉は台風被害により開発途上で閉湯している。宇奈月温泉街の開発は鉄道会社が主導したが、良好な眺望を求める旅館経営者の動きもあり、開発初期から温泉街側の意見が反映されていた。開発主体の相互関係から見ても、資材置き場や事務所が温泉街に設置されていたという物理的な空間利用から見ても、昭和戦前期までは温泉街と電源開発の基地の関係性は色濃いものだったといえる。しかし、昭和21年に発生した宇奈月大火の復興の過程で引湯管理の権限が温泉街側に移り、電源開発が一段落すると資材置き場に旅館が建てられ、両者の関係性は次第に希薄になっていった。 温泉街内部での土地利用は、当初の開発主体である電力関連会社が鉄道沿線の開発を優先したため、旅館の立地も街路の敷設も、沿線地区が中心に進んでいった。しかし、眺望の確保を求める旅館経営者によって崖地地区の開発の端緒が開かれ、旅館の建設は崖地地区へと広がった。都市基盤の整備は昭和30年代中頃には終了したと考えられる。 2-2.町並み景観の変容について 全景の変容からは鉄道沿線地区が最初期に開発され、その後に温泉街中心地区や崖地地区、さらには郊外地区へと開発が進んだことが明らかになった。一方、地区ごとの景観の変容に関する分析からは、宇奈月大火や高度成長期のホテルへの建替などの影響を受けて、現在の宇奈月温泉街には歴史的建造物がほぼ残っておらず、往時の景観を維持しているとは言いがたいことがわかった。しかし、崖地地区を対岸から眺めた景観を分析した結果、旅館建築の建築的構造が木造からRC造などへ変化しても、崖下へと旅館建築が延伸するという景観的な側面からは継承されている要素があると評価できた。 2-3.自然環境と温泉街の関係性について(図2) 崖下方向へと旅館の利用空間を延伸させるという建築行為が、崖地地区において崖にへばりつくように旅館が建ち並ぶ景観を作り出した。旅館がRC造になる前の昭和初期以前の木造建築時代から続く景観であり、崖地という利用制約が強い土地であるからこそ発達した景観だと考えられる。現在は対岸から見ると山中に高層ビルが突如として現れたような近代的な景観となっているが、旅館経営者たちが自然と向き合った上で作り上げていった文化的景観だと評価できる。 今後の宇奈月温泉における景観計画では「温泉街には和風の建物が似合う」といったイメージに走ることなく、近代化の過程で自然と向き合いながら開発が行われてきた歴史的背景を踏まえ、地区の分類や保全すべき対象を検討することが必要と考える。さらに、近代化の過程を歴史的資源と捉えるならば、宇奈月温泉街には電源開発とリゾート温泉開発が同時に進められたという特異な物語があり、自然環境・電源開発・温泉街開発が相互に関わって形成された都市空間を観光計画に活かしていくことが肝要と考える。 3. 今後の展開 本研究では、崖地地区の崖下にRC造の旅館が延伸する景観を文化的景観として評価することを、宇奈月温泉の近代化の歴史的文脈を踏まえて提案した。このような評価が他の温泉街においても妥当か、全国各地の崖地を有する温泉街の形成過程を明らかにすることで、その評価の視点を考えたいと計画している。 4. 参考文献 1) 山田胖『黒部川案内畧記』p.22,1920 5. 連絡先 新潟市西区五十嵐二の町8050新潟大学工学部工学科建築学プログラム、matsui@eng.niigata-u.ac.jp 図2崖地地区における旅館の建替経緯 −161−

元のページ  ../index.html#171

このブックを見る